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最高裁判所第二小法廷 昭和27年(オ)743号 判決

上告人 平田知子(仮名)

外六名

被上告人 平田利明(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人古田進の上告理由第一点について。

およそ、確認訴訟は、特段の規定のないかぎり、特定の権利又は法律関係の存在又は不存在の確認を求める訴である。本件において上告人(原告)等は、その請求の趣旨として「原告等が昭和二五年八月二三日にした岡山県○○郡○○村大字○○○○○○番地被相続人平田正治の相続放棄は無効とする」との判決を求めたこと、そして、その訴旨は、右のごとき趣旨の確認判決を求めるものであることはその主張自体から明らかであるにかかわらず、当該相続放棄の無効なるに因つていかなる具体的な権利又は法律関係の存在、若しくは不存在の確認を求める趣意であるかは、明確でないのである。相続のごとき複雑広汎な法律関係を伴うものについて、本件確認の対象となるべき法律関係は少しも具体化されていないのである(もとより全般的にかかる相続放棄無効確認の訴を許す特別法規も存在しない。)すなわち、かかる確認の訴は、適法な「訴の対象」を欠くものといわざるを得ないのであつてかかる上告人(原告)の請求に対し本件第一審若しくは原審の口頭弁論期日において、被上告人(被告)特別代理人が「原告請求通りの判決を求める」旨の陳述をしたからといつて民事訴訟法上「請求ノ認諾」たる効力を生ずるに由ないものといわなければならない。されば、第一審若しくは原審が右特別代理人の陳述をもつて「請求ノ認諾」にあたるものと解せず、従つて、認諾に因る訴訟終了の措置を採らなかつたことをもつて、所論のように違法とすることはできない。論旨は採るを得ない。

同第二点について。

本件相続放棄の結果、被上告人の相続税が上告人等の予期に反して多額に上つた等所論の事項は、本件相続放棄の申述の内容となるものでなく、単なる動機に関するものに過ぎないことは、原判示のとおりであるから、かかる場合に民法九五条の規定は適用のないものとした原判決は正当であつて、論旨は理由がない。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 池田克)

○昭和二七年(オ)第七四三号

上告人 平田知子

外六名

被上告人 平田利明

上告代理人弁護士古田進の上告理由

一、被上告人は第一審以来本件上告人の請求を何ら争うことなく之を認諾して居るに拘らず之に対して原判決の如き判決を為したのは全く誤つている。

二、其の他原判決は法律上の判断を誤つている。

三、前二項に付ての詳細は上告理由書を提出し明かにする。 以上

第一点 原審は被上告人が本訴請求を認諾したるに拘らず判決を言渡したのは法令に違背したものと謂ふべきである。

即ち第一審に於て被上告人特別代理人は上告人の請求につき上告人主張の通りの判決せらるべき旨陳述している。これは明かに上告人の請求を認諾したものと認むべきであるのに、第一審は之に対し判決を為し、更に原審に於ては被上告人特別代理人は全く口頭辨論期日出頭せず従つて当然第一審の前記答弁以外の事実も主張せず又何ら争う意思もないのであるが、原審も第一審同様上告人敗訴の判決を言渡したものである。

前記の如き第一審に於ける被上告人の陳述は明かに上告人の請求を認諾する意思表示と解すべきであり、果してそうだとすれば、本件訴訟は認諾の意思表示と同時に終了し之を調書に記載したる場合は確定判決と同様の効力を有することは民事訴訟法の明定するところである。原審が之を無視して判決を言渡したのは、明かに法令に違背するものである。若しそれ、前記の如き第一審に於ける被上告人特別代理人の陳述を不明確なりとして排斥したものとすれば之は釈明を尽さなかつた違法があるものと謂うべきであつて何れにしても法令に違反するものである。

第二点 原判決は法令の解釈の適用を誤つている。

原判決理由によると、本件相続の放棄が被上告人主張の如き目的で為されたことは認めるが、その目的を達するため、放棄という方法を選んだことは上告人の主張自体によつて明かであるから、放棄それ自体に錯誤はないと言はねばならぬと言ひ、本件放棄が被上告人主張の如き目的に反する結果を招来したことは、動機の錯誤であり、本件の如き場合、動機の錯誤は意思表示の内容となり得ないからその錯誤は要素の錯誤とは言い得ないとするのである。そしてその理由とするところは動機の錯誤の場合でも要素の錯誤となることはあるが、それは通常取引の場合、表意者本人の保護と取引の安全との調和を図るためのものであつて、相続の放棄の場合の如き非取引的な相手方のない行為でその影響が広い範囲に利害関係の及ぶものにあつては意思表示の内容を為さないというのであるが、原審のこのやうな解釈は恐しく恣意的な考へ方であつて、一般に言つて婚姻縁組等の如き非取引的な身分法上の法律行為こそ、その非取引的な性質から当然に表意者の真意が重視され、反面外観信頼の保護という取引的行為の理想は影を潜めることとなることは異論のないところであらう。原審の所謂取引の安全ということは斯る身分法上の行為については殆んど考慮の余地がなくなる訳である。而も一面身分法上の行為の特質としての身分的秩序の安定という要請はあるが、それも本件の如き相続の放棄の場合は、新憲法施行後に於ては単なる財産関係の帰属の問題以外に実質的に考慮すべきものを含まないとすれば、身分関係の安定ということは深く考慮する必要のないことになる。特に相続の放棄ということが実質的には相続財産についての相続人の保護と利益のためにのみ為される実情に鑑み、本件の如き錯誤はその法律行為の最も重要な内容を為していることは明かに推認せられるところである。「錯誤者に意思なし」との法諺は取引の安全等の制限なく本件の如き場合にはそのままあてはまるものであると考へる。

本件の如き錯誤が相続放棄という法律行為に於て、表意者にとつては最も重要なる内容を為し、否それのみが殆んど唯一の関心事であることから考へるならば、表意者保護の制度である錯誤理論の適用はその行為の最も重要な点についての表意者の真意を重視して考へるべきである。

相続の放棄は家庭裁判所に対し申述を為し、之が受理の審判を得て始めて有効に為し得ることから考へても、原審が言ふ如きその行為についての定型に於ける錯誤というが如きものは全く考へられぬところである。即ち家庭裁判所は当事者を審尋して原審の所謂定型に於ける錯誤なきやを確めて審判を為すのであるから、斯る点についての錯誤は殆んど考へられぬことである。このことから見ても原審の判断は封建的、家族制度的考へ方に立ち、全く形式主義的な無意味な理論に基くものと謂はざるを得ない。

原審が単純に本件の錯誤を要素の錯誤に非ずとして、上告人の請求を排斥したのは、相続放棄と錯誤の法意とその解釈を誤つた違法があるものと言うべきである。

以上二点より原判決は当然破棄せらるべきものと考へる。

以上

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